「私が福祉を志したきっかけ」
会報「第49号 共に生きる」より(平成31年3月発行)
 私が福祉を志したきっかけは幼少期の体験でした。保育所の年長の時、クラスに障がいのあるWさんが加わりました。Wさんは身体も小さく、言葉も出ず、様々なことに手助けが必要でした。先生が彼女を手伝っていましたが、そのうちWさんは私に援助を求めてきました。私は彼女の手を引き、身の回りのこと、食事やトイレ、外遊びなどに一緒に取り組みました。彼女はいつも私を見つけると、笑顔でそばに来て、快く私の誘いかけや手助けを受け入れました。いつもそばにいて、当たり前に好意を寄せてくるWさんに自然に手を貸し、彼女の意思をくみ取ろうとし、思いが食い違う時はけんかをして、仲直りもしました。

 私たちは地域の小学校へ行きました。Wさんと私は6年間同じクラスでした。クラスメイトもWさんにやさしかったです。みんなと同じようにできることは少なかったですが、彼女自身が選んだ場合は話し合いにも参加して、当たり前に一緒の時間を過ごしました。Wさんも友だち関係が広がり、言葉が増え、友だちの名前を呼んだり、簡単なあいさつをするようになりました。障がいのあるなしに拘らず、クラスメイトの一人として学校で過ごしていました。

 私はその当時、子どもだったのでどこまで深く考えていたかよく思い出せません。彼女を「障がい児」として援助の必要な存在として捉えていたかもしれませんが、クラスの子どもは彼女がどういう性格で、何を好むかよく知っていたと思います。大きな先入観もなく、Wさんと関わることは私のなかでよい経験になったと思っています。

 その後、地域の中学校に一緒に行くとなんの疑いもなく思っていた私に、Wさんの母親は「中学校は地域でなく、支援学校に行こうと思う。そのほうが、Wの将来のためになると思うから」と告げました。それを聞いた時に私は寂しさよりも『Wさんの将来』という言葉に大きな壁を感じました。このまま一緒に育ってもこの先私たちはバラバラになるのだという予感のようなものがあって、思い出すと、未だに私を当時の重苦しい気持ちにさせます。その後、彼女は支援学校へ行き、私は地域の中学校へ進みました。大学を選ぶ際に社会福祉を選んだことも『障がいのある人たち』と社会について、子どもについてぼんやりと知りたいと感じ、何か自分にもできることはないかと考えたからです。

 その後、就職し、障がいのある子どもたちと接したり、その保護者の思いに触れたりするなど様々な現場でたくさんのことを学びました。障がいがあってもなくてもその人を知る、それが差別をなくし、障がいの理解につながります。そういう社会を作ることを目指したいです。<姫島こども園 職員>

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