自分のことは、自分で決めたい
会報「第28号 共に生きる」より(平成20年8月発行)
 B君は養護学校高等部を卒業後、風の子そだち園に入園しました。当初は、手織りやクッキー作りなどの活動をしていました。なんでも自分でできる力は持っていました。

 しかし次第に、活動が終わっても切り上げにくく、次の行動に移る際に時間がかかるようになりました。当時は、B君のペースがゆっくりだからと理解して、急がしたりするのではなく、待つなどの対応をしていました。そんなB君が職員に対して、激しく怒ることで"イヤ"を主張し始めました。

 高等部時代は"イヤ"が言えず、動かないことで「No」を表していたB君。そんな彼を先生はおぶって移動させていたそうです。B君は"イヤ"を主張するようになった時から、自分の気持ちと合う文字を連絡帳の中から探して知らせてくれるようになりました。母親とのやり取りで何かを伝えたい時は"怒る""イヤ"などの内容が書いてあるページを迷わず開き、職員に手渡し読ませたがることが増えました。そのことについて話をしていると、自分の気持ちと合う部分では、職員の目を見て、「ウー!」と声を上げて怒った表情で"イヤ"を訴えるようになりました。

 この時、B君が文字を読めていると確信しました。今では、チラシや本など身近にあるものを使って職員に見せに行き、食べたい物や行きたい場所、また自分の気持ちを一生懸命に伝えてくれるようになっています。それに伴い、ことばで気持ちを伝えることも着実に増えてきています。

 B君はゆっくりしたペースの人だと周りは思っていましたが、実はそうではなく、職員や両親に対して、"自分の気持ちを言いにくい""意見をちゃんと聞いてほしい"と一生懸命訴えていたということが分かりました。

 自分で決めたことには、納得して動ける。少しくらいしんどくても、へこたれずに頑張れる。しかし、他人から課せられたことについてはどうでしょう… "自分の意見をきちんと認めて欲しい""自分のことは自分で決めたい"という思いは、障害のある、なしに関わらず、人として、ごくあたりまえのことであるということに気付かされました。
※写真はイメージです。

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