支援者の仕事
会報「第43号 共に生きる」より(平成28年3月発行)
 ある利用者Qさんは普段「僕のところに来て!」「話を聞いて!」とよくお茶を飲むことで思いを訴えます。私たちであればそんな時、話しかけたり身体に触れたりすることで気持ちを伝えますがQさんはそれが苦手で、間接的な「お茶を飲む」という表現で必死に思いを伝えるのです。単純にお茶を飲むQさんを見れば「お茶が好き」と理解してしまいそうですが、本当の気持ちは「お茶が飲みたい」ではなく「寂しい」といった表現で伝えていたのです。

 そんなQさんはグループホームを利用しています。グループホームではいつもソファに座ってテレビを見ており、私は「テレビが好きなんだ」と思っていました。しかしある時Qさんは一人でソファに座り、ついていないテレビをじっと見つめていました。テレビをつけますか?と声をかけても一向に動こうとしないQさん。私はテレビをつけて隣で一緒に見て過ごしました。その数日後、またQさんは一人でソファに座り、ついていないテレビを見ていました。ふとそんなQさんを見て「寂しい」「誰か気づいて」と無言で訴えられているような気がしました。そこで私はQさんに「もしかして一人寂しくて、本当は誰かそばにいてほしいのに、気づいてもらえず辛かった?もしそうなら勝手にテレビが好きと決めつけていてごめんなさい。」とその場で話し、謝りました。すると正面を向いていたQさんが私の方を向き、目に涙を浮かべ、じっと私の目を見つめてきました。Qさんの寂しかった気持ち、気づいてもらえなかった辛さ、そして思いが伝わったうれしさ、それらの感情を強く感じました。

 知的に障がいのある方と私たちとは同じです。「怒り」「喜び」「悲しみ」「不安」などを感じ、それらを「聞いてほしい」「わかってほしい」と本人たちなりの方法で訴えています。そこに理由のない行動は決してありません。しかしそういった行動の裏にある本当の思いはうまく私たちに伝わりません。それが実際です。利用者の方たちはそんな毎日のなか、それでも必死に気持ちを訴え続けているのです。

 私たち支援者は日々悩み、時には立ち止まりながらそんな利用者の「意思」と向き合い一緒になってそれを受け止めています。「声」に耳を傾け、本当の「思い」を共有する、そうすることで、今回のことのように必ず思いは理解でき、伝わるのです。障がいのある方の「声」、少しずつ、一歩ずつ、一緒に聞けていけたらと思います。
※写真はイメージです。

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