福祉の心
(2019年8月・第498号「風の子だより」より)

 最近の新聞紙上で、安倍総理がハンセン病患者の家族に対し、心から謝罪するという記事がありました。1897年(明治30年)に法律がつくられ、以来ハンセン病と診断された人は強制的に収容施設に隔離され、社会と絶縁されました。そして家族は、世間からの非難や差別を恐れて、家族にハンセン病患者が居ることを隠して過ごしてきました。

 第二次世界大戦が済み、しばらくしてハンセン病の治療がすすみ、完治されるようになりました。しかし国は、1996年(平成8年)になって、この法律を廃止し、ハンセン病対策の誤りをやっと認めるという、ほぼ百年も放置してきたものでした。この間の患者本人や家族の苦しみは、言葉に表せない残酷なものだったことと言えます。

 しかし、この忌み嫌われたハンセン病患者のために、自らの生涯を捧げ支援した人もまた多数居りました。その一人、井深八重(いぶかやえ)さんは、1917年(大正7年)同志社女学校英文科を出て、長崎県立高等女学校の英語の先生として赴任しました。しかし、翌年にハンセン病の疑いと診断され、神奈川県にある山の中の隔離病院に強制的に入院させられました。

 だがその後、1922年(大正8年)に精密検査を受けたところ、ハンセン病であることは誤診だったことが分かり、院長は井深さんに退所を勧めました。しかし井深さんは、入所中の患者さんたちの境遇や、院長等の献身的な活動に触れたことから、この恩に報いらねばと思い、看護婦の資格を取得し、26歳で看護婦長となり、生涯を患者と過ごしたと言われています。

 この井深さんの人生が、ある著名な社会事業家の目に止まり、この人の生き方こそ社会福祉を行なうものの「福祉の心」だと広く提起されました。それが今でも日本の社会福祉を実践する人たちにとって、尊敬の語り草になっています。これも、昨今の新聞報道により思い出されるところです。

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