視点

視点(14)
転んでも泣かない子

 「悔しい」「いやだ」「痛い」などの意思や感情を、涙を流して泣くとか、表情や言葉で伝えてくれれば、周りの人に理解されやすいと思いますが、障がいのあるお子さんの中には、表情や態度でうまく表現できないお子さんもおられます。思いはあっても、目に見える形で表されるとはかぎりません。どのように理解し支援すれば良いでしょうか。

 例えば、転んで頭を強く打っても泣かないお子さんがいます。全く痛みを感じていないのでしょうか?「我慢強い子だな」「しっかりした子だ」と見る人もいれば、「痛みに鈍感だから」と見る人もいるかもしれません。

 これまで様々な子どもと触れ合った経験からすると、早急な判断は禁物です。「その子は痛い思いをしていても、うまく伝えられない」のかもしれません。そう捉えれば、たとえ子どもがけろっとしていても、「痛かった?」「大丈夫?」と声をかけ、打った所をさすってあげるでしょう。最初は拒むかもしれません。しかし、その気持ちに配慮しながら、ごく当たり前の関わりを心がければ、その子は、大人の暖かい手のぬくもりを感じつつ痛みが和らいでいく心地良さを体験することでしょう。そうした経験を日々重ねていくと、次第に子どもは痛みを感じたときに、ひとりで耐えることよりも、大人に癒された心地よい経験の方を選ぶようになるはずです。「不快」や「困難」が、身近な大人によって「快」や「安心」に変わるということは、子どもの育ちにとって大変意味のある貴重な経験です。

 当初は人を寄せつけず何を感じているかさえ分かりにくかったお子さんが、身近な大人を求めて抱きつく、慰められると泣き顔になる、声ばかり上げていた子が涙を流して泣く、言葉で「痛い」と訴えるようになる等の例はたくさんあります。それらは、感情や情緒は人との気持ちの交流によって育まれることを私たちに教えてくれます。

 一方、「我慢強い」「何も感じていない」と見られて人から得られる安心感を体験できなければ、「痛み」はひとりで処理する(我慢する)しかなく、「こんな子」と誤解されたまま大きくなります。それは本人にとって不本意で辛いことにちがいありません。

 「お母さんと離れても泣かない」「物を取られても泣かない」「叩かれても泣かない」などであっても、「母親を認識できていない」「意思がない」「痛みを感じていない」と勝手に決めつけず、「たとえ表現されていなくても、人としての痛み、喜び、悔しさ、願いをちゃんと持っているはず」と、しっかり胸に刻んで子どもたちに接したいと思います。

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