発表論文・講演

日中活動支援は今 ―生活介護事業の中で考える― 意思決定支援を日常の支援の中心に置いて
(さぽーと・平成25年6月号)

 意思決定支援とは単に選択の機会を増やすといったことではない。本人自身意思が伝わりやすくなり、周囲の人も分かりやすくなることによって、お互いのコミュニケーションがスムーズになり、お互いの関係が安心できる信頼感に基づいたものになること。そういった関係をベースに本人が、認められ自信をつけていく、そういったエンパワメントの過程なのである。

大切にしていること
 ワークセンター豊新は大阪市東淀川区にある生活介護事業所です。平成13年に開設され、今年で12年になります。同じ法人の風の子そだち園が28年前に開設されましたが、その方針を受け継いで現在に至っています。ワークセンター豊新の職員が大切にしていることは以下の3点です。まず第一に、本人の主体性、意思決定を尊重し、自尊感情を持ったひとりの人として地域で安心して生活できるように支援します(意思決定、主体性の尊重)。第二に、一人ひとりが家族や友達、地域の人と共に良い関係で繋がっていけるように、家族や地域の人たちとの間を媒介します(関係支援)。第三に、一人ひとりが家族の一員として世話されるだけの存在ではなく、家族や周囲の人に対して役に立ちたいと思っている存在であることを尊重し、本人が自信を持って生きていけるように支援します(本人のエンパワーメント)。この3点について、単なる方針として掲げるだけではなく、各利用者の状況に合わせて具体的に実践する中で本人の変化を見守ってきました。
 この原稿では主に知的障がいの人に対する意思決定支援の実際について、具体的な例を挙げてお話しますが、その前に意思決定支援を日常の支援の柱にすることの重要性と難しさについて一言意見を述べます。

意思決定支援を日常の支援の柱に
 風の子そだち園が開設された28年前から、私たちは上に掲げた方針を基に意思決定の支援を行ってきました。活動内容や職員との関係等できるだけ本人の意見を聞きながら、又、興味の引きそうなものをいろいろと試みながら支援を組み立ててきました。しかし、本人の意思を尊重すると、活動そのものを拒否したり、園へ入りたがらない、又園へ来ることそのものを拒否するといった人たちが次々に出てきました。拒否する本人に無理やりさせても不信感が増すだけです。何がしたいのか、どうすれば満足するのか、拒否する本人とああでもない、こうでもないとかかわる中で、「したくない」「入りたくない」「行きたくない」といった本人の表現の奥に、本人の本当の思いがあることに気づかされました。それは、「無理やりさせられる」「職員の話し方が怖い」「利用者がうるさい」といった直接的なことから、「今まで皆自分のことをじゃまもの扱いしてきた」「誰も自分のことを認めてくれない」「誰も自分に相談してくれない」など、ずーっと思い続けてきたことまで含めて、人に対する不満や不信の気持ちでした。彼らは言葉で訴えることが難しいため、こちらが認めてあげると、拒否という行動でその思いをぶつけてきたものと思われます。これらの行動は、いわば本人の悲痛な叫びだったのです。本当に本人の思いを受け止めようとするならば、命がけで本人の訴えに向かっていく覚悟がいると思います。それも施設全体で、職員が一致して本人を受け止めようとする、そういった組織的な試みが必要です。
 単に表面的に選択肢を作ったり、複数のメニュを用意するという問題ではありません。こちらも困って揺すぶられ、どうしようかと悩んだ末に、対等な立場で彼らの辛さを共有できるのだと思います。目標は、知的障がいがあっても、本人が自信を持って堂々と生きていけること、そのための意思決定支援です。そのことを肝に銘じて日々彼らに働きかけていくことが大事だと思います。

ワークセンター豊新の取り組みから
 WさんとFさんの2つの例を挙げてお話します。Wさんは自閉的傾向のある人ですが、就職後、職場の人間関係が難しく、家で声が出るなど不安定な状態になったため、退職して風の子そだち園へ通所するようになりました。手織りなどの活動に誘いかけると、「するの」「しないの」と言いながら必死になって活動を続け、いらいらした様子で大声をあげます。「しなくていいよ」と声をかけても止めることができず、パニックになることがしばらく続きました。1ヶ月ほどしてやっと活動には入らなくなりましたが、今度は部屋で寝転んで何もしません。まさに3年寝太郎の状態が長く続きました。そんな状態でワークセンター豊新へ移籍してきましたが、Wさんが変わるきっかけになったのは、Wさんのお父さんが認知症になったことでした。Wさんはこれまで、「自分のことについてうるさく言う」と、お父さんに反発してきましたが、そのお父さんが認知症になったとき、まさに関係が逆転したのです。世話される立場から、世話する立場へ。お父さんの面倒をやさしく見てあげることで、お母さんからも認められ、頼られるようになり、それが本人の自信につながっていきました。親に反発することに全エネルギーを向ける必要もなくなったのか、現在では自立に向けて、少しずつ活動もできるようになって来ました。
 職員が長年本人の立場に立って、「問題行動は本人の悲痛な叫び」という立場で本人の思いを明らかにし、家族につないでいったことが、本人の変化につながったものと思われます。「(意思が通じるようになって分かりやすくなり)家での生活が本当にやりやすくなった」。これがお母さんの感想です。
 Fさんは言葉で意思を伝えることができません。職員がかかわると、特定の文字を指さして、それを言わせることを何度も続けたり、チラシを集めて破ることを繰り返していました。簡単な活動なら参加でき、割と落ち着いて過ごせましたが、突然怒り出したり、泣き出したりということがあり、その原因を理解することは困難でした。又、家では新聞のチラシを全部取っておくため、しまう場所がなくなって、その処分について家族といつももめていました。
 ただ、文字や写真の指さしはよくするため、言葉の基礎であるイメージの理解や喚起(表象能力)はある程度できるものと思われました。そこで、本人が集めるチラシや写真を使ってコミュニケーションができないか、本人といろいろやりとりを試みてみました。一例ですが、ある時Fさんは相撲の記事を破りとって,園に持ってきました。力士が戦っているところです。「誰と戦っている?」「喧嘩してるん?」と聞くと、うなづきました。そして鞄の中にある写真の束からお父さんの写真を探し出しました。「Fさんお父さんと喧嘩してるん?」と聞くと、大きくうなづくので、家に電話して聞いてみると、やはりそうでした。それ以来、チラシを前にして本人とやりとりをし、分かったことをカードにするかかわりが続きました(写真1)。写真2は「私が主役(自分が一番)」ということを伝えたいときにFさんが使うカードです。これも職員と一緒に作りました。こうすることで職員や母親とのやりとりがスムーズになり、「こんなことまで考えてたん」、とびっくりされたり、認められることが増えました。
 紙面の都合で二人に止めますが、利用者一人ひとりの状況に合わせて、本人の思いを明確にして対応していくのに従い、本人の生活は安定し、生き生きしたものになります。意思決定というのは、周囲の人たちとの相互関係の中で行われますから、本人自ら何らかの判断や決定を行う、という側面だけではなく、周囲の人もかかわりやすくなり、信頼できる関係が形成され、その中で本人が認められ、充実して生きていけるようになる、そういったプロセスです。風の子そだち園からワークセンター豊新へ、すでに30年近くになりますが、一貫した方針で本人と家族を継続して支えていくことは、着実に利用者の皆さんのエンパワーメントにつながっているように思います。

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