発表論文・講演

本人主体の支援について

 本人主体の支援、という時、その前提として考えておかなければいけないことがあると思います。それは、人間存在や人間関係、社会関係が本質的に持っている二重性、二つの側面に関係しています(図1)。ひとつの側面は、一人ひとりの人が、それぞれかけがえのない人生を、一個の主体として、魂を持った存在として生きている、ととらえられる主体的側面、実存的側面です。他方は、制度利用の対象者として、名前のない、ものとして扱われる客体的側面です。この二つの側面は人間存在にとって本質的なものですが、制度側、もしくはその代行者としての事業者や職員は、より効率的に、より経済的に制度を運用しようとして、利用者をモノとして扱い、客体的側面からのみ見がちで、心の通わない対応をすることが多くあります。介護保険など高齢者の介護の分野でこのことがよく指摘されています。

 社会福祉的援助とは、そうではなくて、利用者をかけがえのない命、魂を持った存在として認め、一個の主体として尊重する、主体的側面に着目してなされる援助であると言えます。このことが本人主体の支援の前提にある、ということです。

 ノーマライゼーションやインクルージョンということがよく言われます。本人主体の支援の前提はこれらの考え方であるとも言えますが、このノーマライゼーションやインクルージョンという概念も、その前提として、「我々も、障がいを持った人たちも、ともにかけがえのない人生を生きる、魂を持った存在であり、その我々に当てはまることは、障がいを持った人にも同様に当てはまる」、という主体的側面への着目を前提にしているものと思われます。そうでないと、地域生活支援などことばが変わるだけで、またまた客体的側面中心の、ものとして利用者を扱う支援になる危険性を持っています。

 長くなりましたが、この主体的側面を重視した支援という前提から、まず、本人中心の支援、という視点が出てきます(図2)。これまでは、専門家が自分たちの立場から、本人の状況や都合を無視してかかわってきました。医療も教育もそうでしたし、障がい者にかかわる人たちも指導訓練中心のかかわりを行っていました。そんな中で、本人の主体性はどんどん踏みつぶされていったものと思われます。そうではなくて、まず本人が発信する。専門家は本人のニーズに応じた援助を行うべく、各分野の専門性を発揮する。そういう支援へと変わりつつあります。その際、本人の立場からすると両立が難しいケース、例えば病院の利用と施設の利用など、調整が必要な場合、これまでのように各専門機関が各機関の都合だけで一定の役割を利用者に押し付けるのではなく、連携を取りながら、複数のニーズに対応できるよう融通を利かせる、こういった専門家間の協力関係が必要になります。コーディネートやネットワークが始めて、本人のために働き、協力関係ができることになります。


 次に、この主体的側面への支援、という前提から、「本人の立場に立った心理学的理解」という視点が出てきます。利用者の視点、立場に立って本人の生活世界を理解し、本人の思いを受け止める、ということが必要です。ただし、これは、それほど簡単なことではありません。まず、相手の立場に立つ、ということを考えてもらったらいいのですが、似たような経験を積んでいる方が相手の気持ちがわかりやすいと言われます。あくまでも一般論ですが、子どもを育てた経験がある人の方が母親の思いがわかりやすい、というのは、共通した経験をしていることで、お母さんのしんどさも共感しやすい、ということです。そのプロセスをもう少し詳しく述べると、共通した経験をベースにして、相手の世界に身を置いて、何がしんどいのか、何が喜びなのか、相手の思いを想像することが、共感につながっていきます。想像力というのは人間を理解していく上で非常に大切だと思います。今お話したことは、一般に人を理解する、共感する際に大切なことですが、障がいを持った人の場合は、もう少し複雑になっていきます。

 すなわち、その人の障がいに応じて、身体的もしくは精神的な制約が出てきます。その人が発達の途上であれば、発達上の制約というものも出てきます。一人ひとりのそれらの条件を考慮に入れて、想像力を働かせる、本人の立場に立って理解し、共感していくためには、このことが必要です。先日スウェーデンからグンネル・ヴィンルンドさんという障がい心理の専門家が来られていました。お話をお伺いして分かったのですが、スウェーデンでは「本人の立場に立った理解」という視点がかなりしっかりしています。実践的な研究をベースにしていて、障がい者を研究対象として客観的に観察するのではなく、共に、かけがえのない人生を生きる存在として、どんなに障がいが重くても、主体として尊重し、本人の立場に立って理解する、そういった態度が徹底しているように思われました。

 今述べた二つの視点、即ち、本人中心の支援と本人の立場に立った理解の視点は、相互主体という、利用者だけではなく支援者側の主体性があって、始めて可能になるものと思われます。なぜなら、支援者自身もかけがえのない命を持った一個の主体であるからこそ、利用者本人の思いを受け止めることができるからです。これは、指導・訓練で、支援者が上の立場から、利用者を思いのままに動かす、そういった主体性とは、まったく異なるものです。もちろん支援者は、上下関係が逆転して、「お客様は神様です」といった視点で利用者と接するものでもありません。

 障がい者本人の中に光を見い出す支援者の主体性、本人が主体としての輝きを増すことを支える支援者の主体性、糸賀和夫先生が「この子らに世の光を、ではなく、この子らを世の光に」とおっしゃったように、世の人を照らすほど、本人が光り輝くことを支える支援者の主体性ではないかと思います。課題もまた強制する課題ではなく、相互主体的な関係をベースに本人の思いを受け止める。その結果が共同の課題につながっていくものではないでしょうか。

 これまで支援者と本人との関係を中心に話を進めてきましたが、実際の生活の場は、家庭であり、地域です。地域社会の中で、本人の価値が認められ、本人のニーズが充足され、安心して生活していけることが必要ですが、そのためには、利用者本人と支援者との間に築かれてきた信頼関係をベースにして、家族や地域の人たち等本人を取り巻く人たちとの関係を調整することが必要です(図3)。我々支援者の仕事は、単に利用者のお世話をするということではないと思います。施設によって、家族への支援に重点を置いたり、地域との関係に重点を置いたりという違いはありますが、主体的側面の支援という出発点から見て、関係調整は非常に重要です。

 青葉園の清水さんの言葉を借りれば、地域で価値的存在として輝きを増し、一人ひとりを主人公にした本人の物語が展開していく、それを支える役割があるということでしょうか。

 最後になりましたが、本人の思いを受けとめていくために、エピソード記述の方法というのが有効ではないかと思います。この方法は中京大学の鯨岡峻先生が提唱されている記録法で、行動を客観的に記述するのではなく、利用者や支援者の思いを支援者がエピソードに綴り、それをグループで読み合わせます。その時の利用者や支援者が抱いていた思いをグループで追体験していくことによって、その感情の持ち方、自己表現のあり方を味わい、一緒に検討していくことができます。本人や支援者の「思い」に焦点を当て、グループで検討することは、相互主体性の視点を育てていくために非常に有効な手段であると思われます。

 以上述べたことを方針として、毎日具体的に支援の中で本人主体のかかわりを模索しています。この仕事に誇りを持てるのは、まさに私たちが主体としてそこに関与しているからなんだろうと思います。

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